カテゴリー「書籍・雑誌」の記事

2009年10月24日

Short Trip

子どもがパラパラとめくっているのを、ちらと横目で見ながらこちらでもページを繰る。
幼子が描いたような宇宙をゆくロケットが、文庫本の黒い表紙が照り返されるたびに眼の端に入ってくる。
「今日はどれとどれにするかな、、?」
「ドとレだけでミとかファはないのん?」
「それって"親父ギャグ"って云われてるのん? どの物語にしとこかなって考えてるんよ!」

かわいい子には、、、と云われるように「旅・冒険」をテーマに据えたその本は、SFの力を借りて子たちに出発を促すような短編が詰まっている。
自らの意思と、行動によって深めてゆく見聞が、大人になるにつれ見えないものに左右されがちな生き方を正してゆくことを語っている。

一話はたった3ページなのだが、子たちが得るものは大きいようで2,3の物語の読後、余韻に浸るようにド派手な雑記帳に何やら書き込んでいる。
挿絵を写すだけのもあるが、「目頭を押さえる」とか「ものすごい形相」とか表情に関した言葉を抜き書きしている。シナリオのト書きだけがならべられたふうで、つい指示されているような感じになるおかしなページなのだが、当の本人は真剣でおやつも置いてしきりに鉛筆を動かしている。

時に、そのただひたすらにその事だけに没入できることは羨ましく思う。

朝食:バゲット2切れ、コーヒー、葡萄ジュース
     サラダ(マッシュポテト、ブロッコリー、レタス)
昼食:肉じゃが(丼にして玉子を割り入れたやつ)
     厚揚げの炊いたん、酢もずく、豆腐の味噌汁
夕食:チジム、トマトのマリネ、湯豆腐
     サラダ(水菜、ニラ、胡瓜、人参)、


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2009年6月 4日

merry-go-round

蛍狩りに出掛けること約束したのは、連休明けのまだ暑くなるのかどうかも判らない時期だった。
お祭りのポスターをどこで眼にしたのか、約束を覚えているのかと箸を口の端に引っ掛けるようにして、毎晩のように訊いてくる。
「あのね、お地蔵さんの裏の田んぼに、ホタルの幼虫がいるって○○チャンのお母さんが言うてはったんよ、、。」

幼虫は水の中に住むテントウ虫の幼虫と云えば想像に難くない。マットな黒い色に斑点が付いている。
「お友達のお母さんは、たぶんカワゲラか何かと間違えてはると思うな。もう今頃は土の中でマユを作ってさなぎになってるんよ。」

Birthday_cake「ちょっと奮発したんやよ。お馬が、、、。」
家人の咳払いがその先は禁止語句であると制していた。

「お馬がグルグル廻ってるのに、また乗りに行こうか?」
「そんなんはもう卒業したんよ ! もっと速いアトラクションに乗ってみたいんよ、、。」

速い乗り物、アトラクション、、、
もう今では考えていること、思い巡らしていることも言葉で上手に伝えられるようになった。それはそれで嬉しいし当たり前のように安心できる。逆に舌足らずで意味のよく解らない言い回しが楽しかった時分を懐かしく感じてしまう。

「お誕生日おめでとう ! 今年も元気でいられますように、、。」
「それって、年賀状の言葉みたいやん、、?」
姉の一言がよほど面白く聞こえたのか、ふたりしてゲラゲラといつまでも笑っていた。

タイトルは三浦哲郎の作品より。物語のチサちゃんの健気な振る舞いに、男親の寂しさがよけいに大きく伝わってくるのは「短編の名手」たる技だろうか、、。

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2009年5月27日

My Dear Wife

インフルエンザの煽りはまだまだ収まるふうもなく、ゴト日を過ぎても身体を持て余すことが多い。
例年は蛍狩りに訪れる人のざわめきが通りに響いているものだが、絶好の日和であってもいつもの喧噪はなく、遠くから聞こえる新幹線の通過音が、粘っこいようにいつまでも耳につく夜が続いている。

今夜はヒドく蒸すような気配があり、どんな様子なのかうかがってみようかと考えている。

Book前評判の高い邦画が夏に封切りになると聞いたのだが、あいにくこの田舎にはロードショーの予定はないらしい。
ならばその監督の書き下ろした小説でも読んでみようと、ビスケット缶の中の小銭をかき集めていると
「図書館にリクエスト出しておきましたから、、。カード忘れずに、出掛けたら、、?」

新聞の書評欄には目敏く、五感が働いていたようだった。
まとめた小銭は家人の通帳にこっそりと移しておいた。
気も、財布も些細なことで軽やかになった。

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2009年5月15日

此処で会ったが100年目

今年は生誕100年を迎える作家が多く、中央公論では特集も組まれていた。
太宰に中島敦、清張、大岡昇平、そして私には難解な埴谷雄高、、。
メディアでもテレビでは "清張ものドラマ" が帯に名を連ねているし、向田邦子による脚本で放映されたものもあったようだ。
映画は「点と線」がリメイクされるようで、太宰の「人間失格」も流行りのスタイルの若い俳優が主役をはることを子たちから聞いた。

新しい「小説新潮」を繰ると、丁度清張の特集であの宮部みゆきと北村薫との対談が載っていた。
埋もれていた短編や未発表の作品に光を当てているような感じで、私の知らないものばかりだった。全集には入らなかったものにも、作り手の側からはすればトリックはもちろんのこと、プロットにも頷くことが多いようだ。
これらの作品は時間があれば是非読んでみたい気になった。

このところ寝入る前に、子たちに借りたはず?の柳宏司「虎と月」に目を落としている。
昨年、本屋大賞で惜しくも2番手だった「ジョーカーゲーム」が面白く、ヒロイズムを丹念に綴った印象が残っている。この「虎と月」は中島敦の「山月記」から構想を得ているようで、メタモルフォーゼを使い、親子の情を子供向きに丁寧に描かれている。
早く読み終えて子たちに渡さないとならないのだが、
「そんなにチビチビやってると、ほんとにトラになってしまうわね、、。」
と、月の描かれた盃を傾けるたびにオークション会場? から声をかけてくるので、なかなか集中して読み進められないでいる。

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2008年10月27日

男子の本かい、、?

月末が近づくと手元の現金で大丈夫か心配になってしまう。
やれ大恐慌やら、不況の嵐が、、とかの新聞の見出しが目に留まると、嫌でも無関心ではいられなくなる。

内心そうだとは思っていても、要るものには惜しまず身銭を切り、しっかりがんばった後には旨いもので身体と気持ちを養おうと考えている。
けれど家人などは「牛は来年ですから、少し待てばどうですか?」と、わざととぼけて言う。
「せやけど、産地のもんは米も肉も都会に持って出る3分の1の市価で済んでんのやさかい、ちょっとぐらいかまへんやないのん?」

まあ、家人の気持ちを汲めば荒げた声を出すのも無粋なもので、じきに己を諌めようとする気がもたげたような感じがした。あの檸檬のように爆発することになるのか、テーブルの蜜柑に手を出して小房に分けて、甘い果汁
で身体の中をせり上がってくるような気を修めた。

"積ん読"の高い山になっていた新しい書籍は、ほとんどが秋になる前に買っておいたものばかりで、掃除の度に部屋の西や東に移動していた。たまりかねた家人には
「せめて8合目ぐらいまでは、しっかりして下さいね、、。」
と、檄を飛ばす批評家か言葉の通じないシェルパなのか、まあそのどっちでも構わないが「頂上を目指せ」と言わないのが、結婚15年目のやんわりとした言い方なのだろう。
「もう5合目も過ぎてますから、、。ちょっと長いビバークやったさかい、あなたの雷が過ぎたらまた出掛けるつもりでしたから、、。」
などと言おうとでもしたものなら、映画「十戒」のような大嵐でもう踏みとどまることも出来ないだろう。

草食系男子、、って面白い言い方ね、、。優しくてもオロオロすることは困りますよね、、。」
と、ハロウィーンの本を広げている娘の方を見てこぼしていた。

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2008年10月19日

ももこのお導き

最近図書館からの貸出しが増えているものに「さくらももこ」の一連の書籍がある。
何が子たちの感性を刺激したのかはよく判らないが、幼少時からの思い出を綴った文章には、私には同世代人としてどこか郷愁に似た感情が沸き起こってくる。
お笑いあり、ときにおセンチに揺れる思いが子たちにも分かる簡潔な言葉を、毎晩のように眠りにつく前の小一時間ほどを寝床で楽しんでいるようだ。
枕元に積まれた「70年代手帖」が一番のお気に入りらしい。

現在、ニュースや時評などで取り上げられる一大事件として、世間を震撼させた'70年代の出来事は、それらの本にあるように"ドリフと歌謡曲"に浸っていた当時の私や級友にとっては無縁のものだった。
学校で歴史を習い始めた頃に「OKINAWAから沖縄」に変わったということを、難しい言葉で解釈せずに"フィンガーファイブ"から見知ったようだった。
月に一度行く散髪屋さんで、アニメではない"デビルマン"には本当に恐ろしいものを見た思いがして、夜中にトイレに行くことが難儀だった。正にあの"タレちゃん"そのものだった。

そういった自分の過去を顧みているせいもあるが、夕食の際にはおどろおどろしい話をするのは止しにしている。
代わりに今はラジオからしか聞けなくなった歌謡曲について、子たちが訊ねてくる度に知っている限りのことを話すので面白がられている。
亡くなった羽田健太郎さんのピアノが、あの頃の歌謡曲の印象深い旋律のほとんどを彩っていることを、メディアブースから一緒に借りたCDを聴くことで納得させたり、一連のTBSの水曜ドラマと全員集合のビデオを借りたりしている。
ただ最近では、そんなせがまれ方もポースのようであって、親の体面を上手く取り繕っていてくれるような気もしている。

夕飯を終えて箸を置いても、焼き上がったばかりの香ばしいコーヒークッキーと熱い柚子茶で盛り上がる様は、あながち"ちびまるこちゃん"の家庭のような空気に包まれているようで、慌ただしく終える週末の仕事の後にはありがたい時間になっている。

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2008年10月 9日

For Girls っていうこと、、だった、、

休みで朝は読み聞かせに学校へ出掛けた。
「スポーツや読書もいいけど、やっぱり食べることが嬉しくなるやんか、、?」
子たちは夕べ、家族で囲んだ夕飯の話を誰かれとなく話し始めた。
ひとつひとつ聞いてあげたいが、教室に出向いた理由が無くなるような勢いだった。
大声の男の子たちの話に相づちを打ってやると、眼を輝かせるようにして嬉しそうな顔になっていた。

「今朝はお芋サラダの本を持ってきたんやけど、どれにする?」

子たちの民主主義の結果、サラダの話をすることになった。
「みんなも帰ったら、今夜はお母さんのお手伝いをするように、、してや、、。」

小説や映画など物語の展開や、その印象の残る一場面には食べ物が欠かせない。
単に口にものを運ぶ行為で完結しているわけではなく、咀嚼することに通じて本質を語る手立てに使われている。
箸を上手に使い、美しい所作で消えてゆく場合もあれば、荒く手で掴んで喰いちぎるようにして、ただ胃袋におさめてゆく行為である場合もある。

ずっと以前に書店で何気なく手にした雑誌「月刊装苑」に出ていたフードコラムが、面白い視点で書かれていたので、作者の名を書き留めて覚えていた。家人に話すとその方の著書が図書館に何冊かあるようなので、お昼がてらクルマを飛ばした。
あいにく「まんがキッチン」というお菓子作りのものしか残っていなかったが、コミックの中の"フード的キーワード"からシーンを紐解いてゆくのは、ある点では男子には解せない部分もあるが、単に「乙女チック」という言葉ではくくれないものを感じた。
くらもちふさこや萩尾望都との対談を読むと、特別な感覚ではなくスウィーツのある食卓も一つの風景と受け取れることが、色や匂いの連想がひとつひとつのシーンの印象を際立たせ、そこに落とされたセリフや言葉の響きと相まって、より濃密な芳しさに変化とアクセントをつけてゆくようだ。
けれどどれもが"For Girls"であって、どこか"後味"が悪くなっている自分に気が付いていた。堅物ではなく、文法が解らないだけなのだと言い聞かせるようだった。

ただ映画を観たいと言う子たちのリクエストに沿えるように、「天然コケッコー」と「グーグーだって、、、」はページを繰ってみようかという気にはなった。

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2008年9月12日

赤と黒と白

校舎を取り囲む山からの蝉しぐれ、時折立ち上がるグラウンドの砂ぼこり、そして体育館や武道場で下級生たちがクラブ活動に汗を流しているだろう声が聞こえていた。受験勉強に集中するのに、家では暑くてはかどらないだろうと、在籍していた高校は夏休みの期間中校舎を解放してくれた。
日曜以外は一応は勉強道具を鞄に詰めて家を後にしていたが、実際には図書館から数II Bのチャート式参考書と小説を何冊か借りては、窓を通り過ぎる心地よい風と木々をすり抜けて届く光とを感じては小説を読んでいるばかりだった。

その中の一冊に「赤と黒」があった。日本語訳のせいなのか心理描写が克明で、子どもだったその時にはクドいほどだったことを覚えている。
その小説も新訳が出版されて、あらためて若い人たちにも読まれているようだ。主人公のクールであり続けようとする一面と、併せ持つ少年のような純真さが対峙している様子が、告白のような言い回しからよく伝わってきた。
昭和52年発行の文庫をあらためて手にしてみると、まずその文字の小ささに驚いてしまう。紙も日焼けしたところ以外でも感触がいいとは言えない。けれどカバーのデザインは今のものよりずっと秀逸で、タイトルそのままが配色に使われ、その夏の頃は作中の婦人と騎兵を描いたものなどをノートの隅に真似て書いたりしていた。
ページを繰ってゆくとその小さな活字を眼で追うには、もう体力が衰えてしまったのか根気が失せているのか、各章の冒頭にある格言めいた言葉には食傷気味になり、ただ古臭い思いがするばかりで"若さ"をあらためて思い起こすだけだった。

子たちの夏休みの間に読めればと求めていたが、知的な内容が淡々と綴られた原研哉の「白」を読み終える。
前に読んだ「ポスターを盗んで下さい」や「なぜデザインなのか」から、その感性には唸らされっぱなしだった。
ジュリヤンが"エンプティネス"に気づけば、疾走する生の中でも沸き立つようなイマジネーションが、過ちを抑えるように働いたのかもしれない。
だが何もないと思えるところに気を通わせることの潔さは、日本人にしか分からないものかも知れないが、、。

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2008年9月 7日

Miyuki Night

九月になり早くも一週間が過ぎた。けれど秋風を感じることもなく、まだムッとするような朝がおとずれている。
疲れて横になればそのまま次の日を迎えていることもあるが、まだまだ夜は寝苦しく暑い。
その昔は寝付けないときに、決まってベースボール・マガジンのごっつい年鑑の細かく書かれた選手の個人データのページを繰っていれば、知らぬ間にまぶたが緩くなったものだったが、30半ばから試算表や経営分析の数字とにらめっこするようになってからは身体が受け付けなくなった。

それでそんな夜にはハラハラするような本を手にするようになり、少しの寝酒をあおり2,30ページパラパラとやっていると、いつの間にか寝入っていることが多い。
サスペンスの類いは「ハヤカワ・ミステリ」にハマった学生時代のものを、もう一度読み直してみたりしたが、やはり社会背景を細かく描いてあるぶん冷戦下のスパイものは、ディテールやプロットに骨があってもどこか古臭く思える。007シリーズが主演の首をすげ替えることで生きながらえているのに通じるようだ。

それでも宮部みゆきの作品群に片っ端から手を付けるようになってからは、逆に寝付けなくなることのが多くなってしまったようだ。「魔術はささやく」などは一度読んだにもかかわらず、この夏には400ページを一気に読み終えた晩もあった。今は枕元には初期の短編集「地下街の雨」がおいてある。
子たちはタイトルを見ては
「地下には雨なんか降らへんよね、、?」 
などと、聞いてくるが
 「雨が降っているような、降っていないような、、、中に出てくる人たちの気持ちが表れてるんよ。高校生ぐらいになったら読むとエエね、よう分かると思うな、、。」

今年に入って新潮社から「アーリーコレクション」と銘打って、初期の佳作が新装版で出ているらしい。もっぱら図書館通いの私には無縁のことなのだが、新しい表紙や装幀が作品のイメージを損ねていないか心配で、「今夜は眠れない」ようになっているが、そんなことは「夢にも思わない」よう努めている。

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2008年5月21日

ジャコパス・ジャコイリ

先週半ばから寝不足気味だったこともあり、且つ休みがずれ込んだこともあり身体がシャキッとしない。今日は楽な仕事(手を抜いているわけではありません、単調と言う意味で、、)ばかりなので、前から家人に頼まれていた"じゃこ煎り"を済ませようと考えた。

大きくとも2センチほどのちりめんじゃこを、弱い火でパラッパラッになるまで煎りあげるのである。真っ白な小魚が良い焼き色に仕上げるには時間がかかる。田楽味噌をこしらえる時と同じように、コンロの前に付きっきりになるので、暑くなる前にやってしまおうと思い立ったわけである。両手で鍋を小刻みに振り続けるのは、二の腕のシェイプにも家人が自分でやってくれるのがいいのだが、夫婦喧嘩のたびに丁寧に腕まくりして見せてくれる、弓道で鍛えた賜物の腕はもう細くはならないに違いない、、。

シャッシャッ、、という単調な音に、自在なベース音をのせて楽しく仕事をしようとジャコパスの「Night Food」をかけてみた。お夜食用ではないが、おじゃこはいい塩梅に色が付き、香ばしい匂いで仕事場が満たされた。

「ふうっ~」っと、私自身満たされた気持ちで終えられた。古新聞に広げてゆっくりと冷ましてから5本ほどの瓶詰めにした。

昼のまかないを終えた後、まだかまだかとずっと待っていた本を開いてみる。

それは寂聴さんの「奇縁まんだら」。昨年一年間日経の土曜日版に出ていたものを、前編として一冊にまとめられたもので、文壇の一流どころに対する忌憚の無い語り口が調子よく、また面白く毎週楽しみにしていた。加えて横尾さんの画が抜群によく、その作家の貌を実に上手く表わしている。土門拳の写真が内面までを引き出すように、作家ごとの構図と色に唸ってしまう。

直情な物言いには裏返すようにすれば、寂聴さんの文士各々に寄せる思いが、きらりとした尊敬のまなざしを伴ったものであることが感じられる。そのことは丁寧な装丁と、一人ひとりがどこに眠ってらっしゃるのかまでを書き留めてあることからも伝わってくるようだ。

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