カテゴリー「旅行・地域」の記事

2009年8月24日

wake up on a mountain top   その3

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駐車場にはそれほどクルマは停まっていなかったが、山頂まで小一時間かけて登ると休憩所で夜を明かした人が大勢いたのでびっくりした。
山頂の草むらに腰を下ろし、コッヘルを手に朝食を摂る人、カメラポジションを決めるのにあちらへこちらへと重たそうな三脚を持っている人、ある者はじっとして、またある者は動いてそれぞれが今日の光を待ち望んでいる。

「まだ太陽は来ないの?」
「太陽が来るんやなくて、地球が遅いんよ、、。」
「遅いことはないで !  動いてるんは地球やで、、。」                           

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ユウスゲの咲く時期はもうとうに過ぎていたようで、黄色く滲んだような景色には出会うことはなかったのが残念に思えた。
小さなユリの香りがしばらくの間、クルマに残っていた。


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2009年8月19日

wake up on a mountain top   その2

ご来光を見つめに行くのは、実に23年振りだった。
学生の頃、友人が新しく買ったクルマに乗せてもらい、性能の高いそのクルマでヒル・クライムをやってみようとしたのがきっかけだった、、はずだ。

「前に来た時はウサギや、シカに出会うたわ。まだそういう動物に会えるほど自然のままであるやろか?」
ハンドルを握りながら、あの時と同じ真っ暗な道なんやろか? 動物が飛び出してきたら上手く避けられるやろか?などと、家人に聞かせると心細くなるようなことを考えていた。

「あっ! ウサギやわ。」
ヘッドライトがカーブの度に山の斜面を照らすと、跳ねて行くウサギのお尻がチラッと見えた。
「まだまだ自然はいっぱいあるんよ、、。」
と、キツネが仲間を呼ぶように鳴いていた。

「さあ ! クルマはここまでやから寝る用意をするで ! 」
山頂に近い駐車場でトイレと歯磨きを済ませ、夏の装いの上からパーカーを着せ、眠る格好にさせた。

「山頂まで40分程歩かなあかんさかい、4時半には起きなあかへんよ。」
「、、、ひょっとしてあそこで顔洗うのやろかな ?」
「そうやで、、。さあ、もう眼つむっとき。おやすみやで、、。」

暖かいほうじ茶を口に含ませ、レンズを磨きながら、突然の雨が降らないように願掛けした。

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wake up on a mountain top   その1

夏休みも終盤になったのに、今年はまだ何処へも連れて行ってやれず、子たちの顔もどこか曇りがちだった。
「宿題も一応は終わってるみたいやから、今夜仕事がハネたら伊吹に登って、朝日を見ながらお山で朝ご飯をもらおうか、、? って考えてんねやけど、どうやろか?」
朝食のセルフ・サンドイッチとカフェオレ・ボウルを両の手に持ち、挟んであるトマトの汁が垂れているのもお構い無しに、新聞の世界陸上の記事に眼をやりながら話してみると、、
「うん ! 行く、行くで〜ワタシ、、。」
と、下は深く考える様子もなく返事した。

「おネエちゃん、、は、どうしたいん ? 行くやろ ! 」
と、ブルーベリーが隅っこに付いた口をとがらせて、ハチミツを混ぜた黒酢の入ったグラスの氷を転がすようにして、思案顔の上を見た。

「・・・うちはどっちでもええよ、、。けどクルマの中でグッスリ寝られるやろかいな ?」
外見や所作とは正反対に神経質なたちで、僅かな物音に夜中でも眼を開けたりすることが多い。

「、、なら決まりやね。」
ゴーヤと胡瓜のワサビ胡麻和えと、茄子の糠漬けを交互に口に運んでいるうちに事は決定した。
「お山は夏でも寒いさかい長袖のパーカーかトレーナーがないと、クルマの中でも冷えるさかい用意したってな、、。それから下も膝下もちゃんとあるのにしときよ ! 夜中2時過ぎから日の出までは冷えるから、温かい飲み物もあった方がエエなあ〜、、。」

本当はお盆の頃に流星群がやって来るので、その時に決行したかったが、あいにくその頃は仕事で一番体力を消耗していた。余力が無い時は山へは足も気も向かわなかった。

「じゃ、今夜9時に家を出発するから、お母さんだけに用意を任せんと、自分で考えて支度しておくように、、。あっと、、今日の学習もやっときなはれや、、。」
と、家人に寒さしのぎの衣類のことを告げて仕事場に急いだ。


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2009年5月 7日

「ユニヴァーサル」と聞いて

あまりにも長い連休では、時間はあってもタマに余裕がないためにお得感のあるETCを使い、予期せぬ?渋滞やらで却って疲労を感じさせる光景がテレビでだらだらと流れていた。
こぞって自動車で移動することが、景気浮揚に本当に繋がるのかは疑問だが、温暖化抑制の為には逆効果のように思うのだが、インタヴュアーの向けるマイクからはそういった声を拾うことは出来なかったようにみえた。

、、、と、これでは世間の休みに仕事に勤しむ人間が垂れるグチに聞こえてしまう。

そういったテレビで知る世界をもっと身近にするのに、家族サーヴィス? は必要になってくるようだ。
それに狭い家に籠ってレンタルビデオを楽しんだり、カード・ゲームで喧嘩になるよりは、曇っていても外に出て風や音や光を感じる方が子供たちには相応しい。(生き物総じてか?)

「宿題も自分学習も、お習字もがんばってやったようやさかい、何処か出掛けよか? 何か美味しいもん食べに行こか?」
と、水を向けると、待ってましたとばかりに声をそろえて言った。
「ユーエスジェイに行きたい。帰りに大阪のお好みが食べたい!」
どうも図書館を利用して事前に綿密に調べてあったようで、誕生月に入場料を値引きしてくれるユニヴァーサル・スタジオへ出掛けることになった。

電車、クルマどちらであっても約2時間はかかるのだが、ETCに縁の無いうちは、当然JRという選択になった。
さすがに連休最後の日はタマ切れの人が多かったのか、梅田もUSJも考えていたような混み具合ではなかった。
一番有り難かったのは行列を苦痛に思うことなく、開場から半日ほどでアトラクションを6つも楽しむことが出来て、子供たちは十分に満足したようだった。
ETのアトラクションは連休明けで終了が決まっているせいもあって、そのエリアは結構賑わっていた。
「もひとつ古いJAWSは続けまっさかい、ジュラシック・パークもありまっしゃろ、、。スピルバーグはんにはちょっと遠慮してもらいまひょか、、?」
とかあったんやろか?

念願のお好みも口にでき、何もかも叶ったからか、帰りの電車では「そんなに首曲がらんやろ?」ぐらいにおかしな格好で寝息を立てていた。
「ET」の後釜がヒッチコックの「お化け屋敷」にでもなれば、夏休みに再び誕生日パスで出掛けても良いのだが、、。

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2008年11月25日

十三詣り

昨日は特別に休みをもらい、嵐山にある法輪寺まで上の娘の「十三詣り」に出掛ける。以前から楽しみにしていたのだが、あいにくの雨で子たちは少し残念な面持ちになっていた。

クルマは京都市街の駐車場へ入れ、四条からは電車に乗った。大宮までの一駅を阪急で、その先は"嵐電(らんでん)"と呼ばれる京福電車を利用した。
洛中から西へはクルマも混むだろうし、何よりローカル線を使うとどことなく"小旅行"のような気分を味わえるだろうと考えたのもあった。
京福の軌道は東の"江の電"と同じく、家の軒をかすめるようにギリギリで縫うように続いている。
「あっ!これお爺ちゃんが好きなやつやん! 何やったかなあ〜、、?」
太秦駅到着の際だけ音楽が用意されていた。それは"水戸黄門"のテーマ曲だった。映画村に近いこともあってなのか、またいつからこのようになったのかは分からない。
加えて車内アナウンスの駅名が学生の頃とは違っていることにも気がついた。以前は三条通りとの交差点は"三条口"だったのにバス停と同じような"西大路三条"となっていた。中京区から西京区へ進むにつれ、ほとんどの駅名が変わっていることに驚いた。太秦は”太秦廣隆寺”と、車折(くるまざき)も"車折神社"なっていた。
多くの旅行者に配慮してのことだろうが、少し長くなった駅名は響きが悪くなったようだった。

目的の駅に着いた。ホームに降りるとパノラマを見るような360°の風景が、以前とは全く違っていることにオロオロした。ただ振り返ると皆がおりた後の、古い車輌の車体のお茶のような緑が、昔と同じように雨に滲んでいた。Randen
渡月橋に通じる道はすべて規制されて、桂川に沿った道は遠く嵯峨美の方までクルマが繋がっているのが見えた。
「難波より  十三まゐり  十三里  もらひにのほる  智恵もさまざま」
と、詠まれているように江戸中期より近畿一円に広まった信仰である十三詣りは、別名「智恵詣り」とも云われている。"大人への第一歩"としての行事として今もなお続いている。
またここのお寺の歴史は古く(あまりにも古いのでこちらをご参考に、、)子たちに話すと行基や桓武天皇という言葉だけで驚いていた。
御堂で御祈祷を受け、説法を聴き無事に終えられた。
が、実はこのあとが大変なのである。
「帰り途は渡月橋を渡り終えるまで決して振り向いてはならない、、」という約束事があるため、下が後ろから声掛けをしないように手を引いて前を歩かせ、当の本人は家族の後ろを付いて歩くように言い聞かせた。
渡り終えるとホッとしたのかお腹がすいたようで、昔からあるうどん屋へ入り"ささめのきざみ"を注文し身体を暖めた。隣に座った子どもは"親子なんば"に"黒七味"でもう十分に大人の仲間入りをしていた。

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2008年8月27日

近い海から遠い海へ その三

美術館をあとにして三河湾に向かって国道を南下する。
フィルムが諦められきれずに、宿までの途中で何件かのコンビニにも寄ってみたが、フィルムはインスタントカメラぐらいでさっぱりだった。
フジもいよいよこれから先の生産についてコメントを出していたようだったが、市場での縮小の過程がこんなにも早いスピードになっているとは思いもしなかった。銀塩はこのまま淘汰されてしまうのだろうかと考えると、私のようにラボの詳しい技術を持たない撮るばかりの者は、フィルムは囲ったものの焼くことが出来ず、何のためのカメラか分からなくなってしまう。

「窓を開けてみれば、どう?  風が潮の匂いを運んできているかもしれへんね、、?」
「まだこんな山ん中やのに海なんか、、、ああ、、! なんかあっちの方がキラキラしてるわ!」

食通にとって"とおとうみ"とは河豚の部位を指していう言葉で、三河(身皮)に挟まれているからそう呼ばれている。
京都に都があった頃は近い海とは琵琶湖であり、滋賀は近江と呼ばれていた。遠くの海はここ三河(遠江)のことだと聞いた。

「早う温泉入りたいな〜。お刺身食べてジュース飲むんよ、、。」

夕飯は食べきれない程の料理が用意されていた。郷土色が感じられなかったのが少し残念だったが、どれも美味しくいただけた。
食事のあとにも風呂につかり、オリンピックの中継を見ながら一献かたむけては、子たちの切望していたトランプをフカフカの布団の上に広げて家族で楽しんだ。

今回の旅行では絶景を眼にする機会こそなかったけれども、日常を離れ自由に振る舞えたことはありがたかった。来年もまた楽しい夏休みが迎えられるようにしたいと、子たちはジュースを酌み交わしながら話してくれた。

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2008年8月25日

近い海から遠い海へ その二

お盆休みが明けてすぐのゴト日だったせいもあり、幹線道路はトラックなどの大きな車輌が多く、結構なスピードで走っているのでうちの小さなクルマには気の毒だった。
「ここでエコのクルマの部品がどんどん生まれてるんやね、、。」
「うちのには付いてない部品なん?」

日本流のエコとドイツ流のエコの違いは何かと問われれば、真っ先に"次代への継承に対する懸命さ"と答えるだろう。大人が周知できていないことを幼い者に伝えることは出来ない。これからはエコロジーの考えが個人の生き方に表れてくるように思うので、エネルギーやエコノミーなどの取り巻く問題も含めて考える必要があるだろう。

ここまでの道すがら、古くから窯業が盛んな地域である猿投、常滑を抜けてきた。半島の付け根にはINAXや森村グループの工場が建ち並んでいた。その技術を借りてなのか、教室では磁気タイルに好みの絵を描いたり、セラミック製の動物に絵付けをすることができるようになっていた。
子たちはそれが気になったようで、絵を一枚仕上げてみようと思い立ったようで、係の方の説明をじっと聞いていた。

私が座椅子に転がってうとうとしているうちに、子たちの作品が焼かれて仕上げの段階になっていた。いったい何を描いたのかざっぱり解らないまま、周りを気にしていた家人のコワい視線の合図で焼き上がるまでの間、常設の展示品を見に行くことにした。
フィルムを使い切っていたので新しいのを求めようと売店に飛び込んだが、デジタル全盛の今日にASA100のネガなど置いてはなかった。店員さんは親切にAPSを探してくれたが、使えないとは言いにくかった。

単純なことでもあっても、短い時間であっても子たちは熱中する時間を過ごして満足しているようだった。まだ温かみの残る作品を手のひらに載せ、その出来映えにも二人ともが一応は納得できた顔をしていた。

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2008年8月20日

近い海から遠い海へ  その一

お盆休みをもらい、楽しみにしていた家族旅行に出掛けた。
例年子たちの夏休みが始まってすぐに出掛けていたが、今年は仕事が立て込んでいて今週しか身体が空かないので、子たちには我慢してもらっていた。
また当初泳ぎに行くつもりが、プール熱やら何とか言う眼病やらで水遊びは取り止めになり、アクティブな計画は断念せざるを得なかった。代わりに宿題である絵画や造形を済ませられる施設へ行くことも含めた案になった。

宿も出発予定が立たなかったために、出掛ける正にその日の早朝にネットから予約した。お盆明けであることもあり、どこも割高な料金ではなかったのがありがたかった。子たちはちょっと贅沢な食事を希望していたので、写真やクチコミで納得出来るところを上手く探すことが出来た。宿泊予約の完了をメールで確認もせず、そのページをプリントアウトし玄関を飛び出すように出発した。

高速道路を東に走れば、半時間もしないうちに違う文化圏に入る。
沿線のチェーンストアの看板にも馴染みの無いものがあり、子たちは何を売っている店なのか分からないようだった。立ち寄ったコンビニの棚にも見たことの無いお菓子が陳列されているのを、買う気もなしにどんどん手に取っては商品名を声に出したり、見つけた商品を互いに見せ合ったりと、何とも店には迷惑な客だったろう。

トヨタ系企業の大工場が点在するこの地域は、江戸期の史跡が数多く、歴史好きな子たちには好都合だった。
とはいえ普段から国宝の天守閣を仰いでいるせいか、新しく改築された様子の城にはあまり関心が無いように思えた。
まず最初のプランの実行である。ここにある子ども美術館に留まって図工の宿題を済ませることになった。絵にするのか、何か形づくりに精を出すのかそれは任せるとして、楽しく時間が過ごせることを見守ることにした。
長椅子で目録などに眼を通しているうちに、いつの間にかコクリコクリと揺れている自分に気が付いた。

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2008年3月 6日

"今日"の冬の旅

「明日のカレンダー」は学校に行くことが出来なかっただけで、目的のお寺の広い境内で気持ちもゆったりとすることができた。

道すがら夜半からの強風の中での雪が、スプレーで銀を吹き付けたように山肌を輝かせていた。高速道路は「ゴトビ」のためか大型の運搬車両も多く、いつもの休みのように悠々に走ることは出来なかった。それでも甘栗を食べつつ、FMを流しながら携帯メールで放送中の番組にリクエスト出したりしながら、のんびりとクルマを走らせた。

すぐ近くの大学の合格発表があったらしく、親御さんと一緒の若い人たちがその学校の正門前で記念写真を撮っている光景があった。

「まだ残ってるかな、、? 私も撮ったのよ!」

「ふ~ん、、。で、まだスッピンでカメラの前に立てるかな、、?」

「・ ・ ・」

市内の大きなお寺では普段は公開されていない、法堂やお庭など写真でしか見ることの出来ない場所を拝観することができる。「京の冬の旅」はいよいよ終盤にあるようで、多くの旅行者で賑わっていた。また、お寺にはボランティアガイドの方々が常駐されていて、丁寧な解説と案内をしていただけた。チケットの販売・モギリからも、皆さんが教職経験者のような印象を受けた。

東寺にも行ってみたかったが、子たちが学校から戻る時刻までに帰ることが難しくなりそうだったため、改めて春休みに家族で再び訪れることにして、250年前の空気漂う塔頭を後にした。

仕事の用事もあったので錦まで出て、鍋焼きかカレーうどんでもと思ったが、ここも旅行者で満席だった。いつお昼にありつけるか判らないので、店先で炊いてその場で作ってらっしゃるお米屋さんのおにぎりを2,3求めて、帰路クルマの中で済ませた。

「鍋焼きは惜しかったけど、来月は河鍋暁斎の展覧会に行ってみよか、、?」

「はい、どこでも、、。」

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2007年7月31日

♪Summer Tour

本当の夏はこれからだが鳥人間、丑の日も終わり夏休みも半分が過ぎたように思える。
楽しかった旅行から帰ってもう一週間が過ぎた。
仕事、仕事の日常に引きずり戻された感があって、写真の整理もままならず、現像にもまわせていないしデジカメはデータをPCに放り込んだだけで止まっている。ベタ焼きにしてもらう人ももう少なく、"色指定"などと色味の好みを写真屋さんに伝える人などは皆無に等しいらしい。

映画のスチール写真のように切り取った風景は、その時とともに残るはずで、思い出は尽きないものである。
瀬戸内での夏の日々はそれは楽しく、ゆっくりと過ごすことが出来た。時間に追われる普段の生活から放れ、小さな島でのんびりと出来たことは家人や子たちも満足のようだった。

今はプリントが早くあがって来ることを待っている。ポジもネガも再びPCの中へ入れて、デジカメと比べては
「これはボツ! これは並品。こっちは上等、、。」などと、勝手な眼で選んでは旅行記をこしらえていくのが、また愉しみなことである。

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