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2008年10月 9日

For Girls っていうこと、、だった、、

休みで朝は読み聞かせに学校へ出掛けた。
「スポーツや読書もいいけど、やっぱり食べることが嬉しくなるやんか、、?」
子たちは夕べ、家族で囲んだ夕飯の話を誰かれとなく話し始めた。
ひとつひとつ聞いてあげたいが、教室に出向いた理由が無くなるような勢いだった。
大声の男の子たちの話に相づちを打ってやると、眼を輝かせるようにして嬉しそうな顔になっていた。

「今朝はお芋サラダの本を持ってきたんやけど、どれにする?」

子たちの民主主義の結果、サラダの話をすることになった。
「みんなも帰ったら、今夜はお母さんのお手伝いをするように、、してや、、。」

小説や映画など物語の展開や、その印象の残る一場面には食べ物が欠かせない。
単に口にものを運ぶ行為で完結しているわけではなく、咀嚼することに通じて本質を語る手立てに使われている。
箸を上手に使い、美しい所作で消えてゆく場合もあれば、荒く手で掴んで喰いちぎるようにして、ただ胃袋におさめてゆく行為である場合もある。

ずっと以前に書店で何気なく手にした雑誌「月刊装苑」に出ていたフードコラムが、面白い視点で書かれていたので、作者の名を書き留めて覚えていた。家人に話すとその方の著書が図書館に何冊かあるようなので、お昼がてらクルマを飛ばした。
あいにく「まんがキッチン」というお菓子作りのものしか残っていなかったが、コミックの中の"フード的キーワード"からシーンを紐解いてゆくのは、ある点では男子には解せない部分もあるが、単に「乙女チック」という言葉ではくくれないものを感じた。
くらもちふさこや萩尾望都との対談を読むと、特別な感覚ではなくスウィーツのある食卓も一つの風景と受け取れることが、色や匂いの連想がひとつひとつのシーンの印象を際立たせ、そこに落とされたセリフや言葉の響きと相まって、より濃密な芳しさに変化とアクセントをつけてゆくようだ。
けれどどれもが"For Girls"であって、どこか"後味"が悪くなっている自分に気が付いていた。堅物ではなく、文法が解らないだけなのだと言い聞かせるようだった。

ただ映画を観たいと言う子たちのリクエストに沿えるように、「天然コケッコー」と「グーグーだって、、、」はページを繰ってみようかという気にはなった。

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